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「なんで俺がこんな病気に!」「収録に向かう途中に泣き叫び…」アルツハイマーを告白した梶原しげるが語る前兆と黒柳徹子への感謝
放送された「徹子の部屋」では病の影響を全く感じさせなかったフリーアナウンサーの梶原しげる氏。しかしその収録の直前、氏は車の中で「なんで俺がこんな病気に!」と泣き叫んでいた――。本人が初めて詳しく明かす、「私がアルツハイマーと診断されるまで」
〈9月5日に放送されたテレビ朝日系の「徹子の部屋」でアルツハイマー型認知症を患っていることを告白したのは、フリーアナウンサーの梶原しげる氏(73)である。文化放送で約20年間アナウンサーを務めた後、フリーに転じ、『口のきき方』『不適切な日本語』(いずれも新潮新書)などの著作もある“喋りのプロ”は、いかにしてこの病を発症したのか。梶原氏がそれについて詳しく明かすのは今回が初めてだ。10月13日、新潮社にて行われた取材は、病の影響で梶原氏本人が忘れている部分も多々あるため、マネージャーの竹村氏がところどころ補足する形で進められた。〉
「ショックではなかった」
梶原アルツハイマーと診断され、実のところ、ショックではなかったですね。妻もね、「(夫が)グズグズグズグズしょっちゅう何か愚痴をこぼすことのない状況はむしろ歓迎だ」と言っていました。あと、アルツハイマーというのは、傍から見ていても分からない。聞いてみないと分からない。表には現れない、脳の問題だというのは感じますね。通常、人に話す時は、ここから話そうとか、ここのところは後で話そうとか、組み立てて話をするものですよね。そういうことができなくなっちゃった。
竹村病を告白するきっかけの一つとしては、ラジオの収録現場などで「梶原さん、大丈夫?」と言われることが増えてきたんですよ。で、梶原さん本人にも相談して、「心配されるのは嫌だから公表しちゃおう」と。今は落ち着いてますけど、前は波があったんです。梶原さんは覚えていないと思いますけど、それはもう……。
「そこに髪の長い人が…」
梶原ひどい?
竹村ひどい。
梶原(話が)通じない?
竹村「悪い男が目の前に2人いる」とか「今、そこに髪の長い人が座ってるよ、竹ちゃん」とか。
梶原妄想があったんだね。
竹村先生も「そういうの出てきますよ」って言ってましたから。
梶原通っている昭和大学病院のお医者さん。女医さんで。病院に行ったきっかけは、ラジオの特番の時に「なんかうまくいかないな」と思ったんだよ。あれ、何かの特番だったよね?
竹村文化放送開局70周年で「梶原しげるの本気でDON DON」の復活というのがあったんです。放送は昨年の4月1日です。
梶原なんか違和感がすごくあって、うまくいかないなって思って。そうしたらやっぱり聞いている人も、身近で助言してくれる人も「ちょっとおかしいんじゃないの?」とね。それでどこかで治してもらおうと。で、昭和大に……なんで昭和大だったのかな?
竹村いつも行っている町医者というか、クリニックで紹介してもらったんです。行ったのは昨年5月からですね。
梶原町医者?あ、そうだそうだ。
竹村その特番の時も、なぜか知らないけど、梶原さんが腕時計を二つしていたり。それ以降、いつも行っている現場への「行き方が分からない」って電話をもらうことが何回か続いたり。これ大丈夫かなと思って、「一回、病院行きましょう」と。
家族は変化に気付かず
梶原その特番の時の最初のあいさつが全然キレてない、という意見がスタッフから出ましてね。「梶原さん、大丈夫?」って話になって。病院を受診したのはなんでだったっけなぁ……?なんで行ったのか、忘れちゃったなぁ。
竹村僕たちが「病院行った方がいいんじゃないですか」って何度か言ったのは覚えています。
梶原なんで昭和大だったんだろうね?
竹村いや、だからそれは町医者で。
梶原町医者でリファー(紹介)してくれたんだね。
〈病院に行く前、家庭での生活には変化はなかったのか。〉
梶原家族は全く変化に気付きませんでしたね。家の中ではいつも通り。話し方もそんなに変わっていません。だからあのまま誰も何も言わなければ、しばらく病が発見されないままやっていたかもしれません。ただ、「徹子の部屋」で病を告白することについては、妻からはあまり賛同されませんでしたね……。
やたらと物をなくした
〈ラジオの収録現場で「異変」を指摘される前に、“前兆”のようなものはなかったのか。〉
梶原私はたばこは吸わないし、酒もそんなに飲まない。運動もそこそこ。食事を軽んじていた、というのは少しあるかもしれません。おいしいもの、体に良いものを食べることより